2022/09/17 00:16

服の博物館がある──と聞いて、物珍しく思って足を運んだ。

そう思っていた。

回転ドアを回して、エントランスの深紅の絨毯を踏みしめると、足音はなくふかりと靴が沈み込んだ。
見上げれば、ドーム状の天井いっぱいに濃紺と白銀の天体図。きらきらと星が瞬いて、時折流星が駆けた。
正面の金の彫刻には「closet museum」の文字が刻まれている。
館内は静かで、星が流れる音と微かにレコードでクラシックが流れている。
足を踏み入れただけでその内装に圧倒される。

ふかふかの絨毯の上を順路に沿って歩くと、ガラス張りのショーケースに様々な服が飾ってある。
勲章の形のブローチ、ゆらめくパール付きのブラウス、ベロアのロングガウン。
それはどれもケースの中から静かに微笑みかけていた。

金色の光に照らされる服たちを眺めながらゆっくり歩みを進め、はたと足を止めた。
灰毛の猫のような色と柔らかさのコートだ。
「ご自由に触れてご覧ください」の説明書きに、おそるおそる手を伸ばす。
しっとりとなめらかで、手の中で生地がすべっていく。
これを纏えたらどんなにいいだろう!
思わず叶わぬ願いを思い浮かべたとき、隣にとある人物が立っていることに気が付き腰が抜けそうになった。
館内の絨毯は足音を吸ってしまうので気が付かなかったのだろう。
その人の胸元には「館長」と刻印されたネームプレートが輝いていた。

萎縮して頭を下げると、館長は微笑んでトルソーからコートを取り、私に羽織らせた。
コートはぴたりと私の体に寄り添って、あらかじめその場所にもともと収まっていたかのような顔をした。
身に纏うことで、さらなる願いが浮かんだ。この服が「ほしい」。
私の思いを読み取ったのか、館長は流れる仕草で手で向こう側の通路を示した。
通路の壁には順路の表記のほかに、『お迎えはこちら』。

真鍮色の古めかしいレジスターがカウンターに乗っている。
通路の矢印と館長に誘われ、たどり着いたのはレジだった。
先ほどのコートが包まれ、紙袋に収まり、レジスターがチーンと小気味いい音を立てる。
博物館と聞いていたのに、展示物が買えるなんて。
館長は紙袋にドライフラワー柄のシールを貼って、作業を終えたようだった。
コートは思わず脱帽するほど手頃だった。買えるだけでも驚きだが、こんなに手の届く値段だとは。
……もしかして、何かに化かされているのでは?

訝しむ私に、館長はにこにこした顔で紙袋を渡すと同時に、パンフレットを握らせてきた。

──ここは服の博物館。あなたがクローゼットを開けば、いつだって訪れることができる。
運命の一着をあなたの博物館へ迎えるためには、洋服たちは親しみのある価格をつけて待っている必要がある。
人に忘れられた服、長い時を過ごした服、遊びくたびれてしまった服、どれもここでは元気な姿と名前を取り戻す。
あなたの毎日を幸せにするために、服たちは待っている。

いつの間に私は家に戻ったのだろう。
茫然としていたのか、我を忘れていたのか。
そういえば、博物館への行き方も憶えていない。
途方に暮れてクローゼットを開けると、そこには灰猫のようなコートが一着あった。


【closet museumへようこそ】